白銀と暗闇しかないモノクロの世界で

唯一色を放つ その逆彩





モノクローム





 出会ったのもあの雪原の中、あの黒い教会の中で。
 あそこの中であったモノなんて、全て白か黒に還元されるものでしかなくて。
 自分の色彩すらそこに還元されてしまうそれなのだと自覚し、終わりのない暗闇を感じたその時に。
 モノクロームの檻の中に閉じ込められたこの瞳に飛び込んできたのは、そのどちらにも属さない逆彩のあの髪。


「お前、笑わないんだな。それに、ほんの少しも怒りなどない」
 話し掛けたのは、確かそんな些細な一言。
 雪の潔白色をした肌の上に取り付けられた逆彩の瞳と、その同色の髪。色彩の激しさとは裏腹に感情を表に出さず、怒りも笑みも押し込めてしまったその表情が目を惹いて、馴れ合いを拒むこの教会の中で初めて言葉に出した。
 声をかけられ機械的に振り向いたその顔にやっぱり表情などあるはずもなく、また、予想通り機械的に口を開く。
「笑みも怒りも、如何様の意味を為すと言うんだ」
「…………それは、」
 その通りだが。
 この教会の中では、そんなものは何の意味もない。時折あるものなんて、怯えと恐怖と、畏怖と敬遠。本来孤児院としての施設にあるべくはずの子供らしい話し声や笑い声、または喧嘩の喧騒など聞こえてもこない。
 友は足枷、仲間は道具。求められるのは闘争と敵への憎悪。怒りなど生温い。怒る弱者よりも蔑む強者に成れ。欲するべきは唯一の高み。全てを亡くし失くし亡くしても、自分だけは生き残れ。
 そんな教訓の中で、確かにあんな一言など、なんの意図があるはずもなかったが。
「おかしな奴だ」
 それでも呟かれた声音は、ほんの少しだけ上擦っていて。
 細められた瞳の奥から一瞬だけ覗かせた押し込められた表情に、思わず頬が熱くなるのを感じたその時。
 上部クラスの集合の鐘が鳴った。
「……ヴォルコフ様がお呼びだ」
 腰に備えたシューターを確認し、覗きかけた表情を殺して大聖堂へと向かう。自分と歳の変わらないはずのその姿が何故だか凍って見えて、自分は禁忌を二度犯す。
「俺は、ボリスだ!お前は!!」
 その声に、また機械的に振り向いて。
 けれど今度は、機械よりも少し上擦った語調で声を返す。
「……ユーリだ。ユーリ・イヴァーノフ」



 あの出会いから上部クラスを目指し、ついにはそのユーリと肩を並べ同じチームを組み。互いに「火渡カイ」と以前関わりがあった事を偶然にも確認し、そして、今までの自分達の全てが終わりを告げて。
 崩壊しきったあの教会内部を統率し、どうにかあの忌まわしい施設を取り去って。そうこうしているうちに、ゆっくりと、ゆっくりと。凍り付かせた感情が溶け出し始めた頃。
 二度目のチームを組み、もう一度、高みを欲して今度は自ら表の舞台へ打って出た。そこでまたいくつかの感情を取り戻し、または、忌まわしい記憶を「記憶」として処理する事に成功し。どうにかこれから、緩やかに本当の自分へと歩みを進め出したその時に。
 あの男が姿を現し。
 全てを否定され、激昂し、それでも叶わず足蹴にされ、打ち捨てられ。
 けれど結局は、全てが終わり。
 雪原へ帰り、雪の中で彷徨いながら手探りで自分を探していた。
 そんな中、自分はやっと普通に笑えるようになり。
 彼はやっと、微かに笑い、悲しげな表情すら見せるようになり。
 その折に、日本でのあの爆発が起こり。
 こちらで自らを追い込んでいた火渡は、亡くした片身を追い駆けて逝って。その、すぐ、後。



 赤く揺れた前髪が、吹き抜ける雪の中に踊る。
「カイが、木ノ宮を追ったか。……奴は、アレがいなければどうしようもないんだな」
 自嘲するように笑うその声は、どこか抜け落ちたように清浄に聞こえて。
「火渡は、いつだって木ノ宮しか見ちゃいないからな。アイツが逝ったって聞いた時、どうせすぐそうするとは思ってたさ。……マックスや、李も同じだ。奴らの中心には、木ノ宮がいなきゃ成り立たないんだな」
 けれどそれに気付かない振りで、何ら変わらぬ言葉を返す。
 気付かぬ振り。こんな胸騒ぎなど、何ら知らない振りをして。
 胸を過ぎっていくこのどす黒い不安になど目を瞑って、通り過ぎて忘れ去ってしまうまで。
 なのに。
「……ボリス。頼みたい事がある」
 雪の中で。真紅の髪を揺らしながら。
 持ち得た属性とは裏腹に、その正逆に位置する炎のような髪を揺らして。白銀の中で。低く落ちた黒い雲に包まれた、この白銀の街の中で。
 唯一、色彩を放ちながら。
「俺を、殺してくれ」
 雪のように色の白いその肌が、微かに動いた。
「カイの手の届く場所に居るべきは木ノ宮だ。カイの背中を支えてやるのは木ノ宮の役目だ。正面から受け止め、隣でバランスを揃え、上から引き上げ、下から押し出すのは木ノ宮だけに許された役目だ。だが」
 言葉は、止まる事など知らない。
「アイツが木ノ宮の正面に立った時、隣に居るのは俺でないと、奴の願いは叶わんだろう」
 カイは、自分を追い込む環境でなければ木ノ宮と向き合う事などできない。迷惑な話だが、火の属性に対するのは、氷の自分だ。自分を過小評価しがちな奴を奮い立たせるのならば、俺がまた面倒を見てやらねばならん。まったく、お人好しになったものだな。
 そう寂しそうに笑って風に吹かれるユーリに、返せる言葉などあるわけもない。けれど、そう簡単に実行できるわけもなく。
 俺は、沈黙しか返さない。
「……ボリス」
 すみれ色の瞳が、自分を見返す。
 モノクロの世界で、唯一目を惹くその紅に。自分勝手に燃え上がっては大人しく燻るその花の光に。
 魅せられるしか脳が無い、どうしようもなく無力な自分。
「お前でないと、嫌なんだ、ボリス」
 そしてその一言が、理性ごと心臓を抉り取る。
「…………ナイフと、銃と。どっちが、いい?」
 そう言った俺に、今度は彼は、本当に嬉しそうに笑って。
「どちらでも構わん」
「そ、か。じゃ、苦しめそうだけど、ナイフな」
 言って、抱き締める。
 安心しきって弛緩した身体を抱き締めて、間近に迫った髪に頬を摺り寄せ、新雪の匂いを嗅ぐ。
 緋色の髪は、裏腹に雪を感じさせて。
「好きだよ、ユーリ」
 言って、背中にナイフを突き立てる。
 突き刺したままじゃ、出血が押さえられて死に切れない。傷口を閉じようと躍起になる筋肉から引き剥がし、傷が凍らないように身体を風下へと向ける。左肩甲骨の真下を通る動脈を引き裂いて溢れ出した血液が、粘質な音を立てて雪を染めた。
「なぁ、ユーリ。このナイフで、俺の心臓のとこ、残ってる力でいいから刺してくれ。でなきゃ」
 俺、お前を追う事も出来ねぇじゃねぇか。
「そしたら、首掻っ切って、楽にさせてやるから。俺がお前にする、最初で最期の頼みだ。ユーリ、頼むから」
 急激に血液の循環を失って、血の気の失せていく両手に血みどろのナイフを握らせる。それをうろんそうに見つめて、抱き締めるこの胸に刃渡りの半分程度突き立てた。
 その痛みに顔を歪める自分が、なんとも情けないけれど。
「次、また、な」
 笑んで。最期の口吻をして。
 突き刺さったままのナイフを力いっぱい抜き去って、その勢いのままユーリの首を切り裂いた。
 ひゅっと風の切る音が聞こえて、そのまま、ユーリは笑って崩れ落ち。
 モノクロの世界に、かつて目を惹いた色彩を広げながら、なんの音も発しなくなった。
「…………でも、全然深さ、たんねぇよ、ユーリ」
 やんなるよな、人間てかたくできてて。
 それでも雪の中に座り込んで、熱を集めはじめる傷口を庇って両手で暖める。
「ファルボーグ。わり、マジ頼むわ。このさ、傷のとこさ、食って、俺、送ってくれや。自殺すんのは簡単だけどよ、それじゃ、ユーリに会えねぇ」
「……へぇ」
 ジッとビットの中で一部始終を見守っていたファルボーグが姿を見せ、呆れたようにため息をついた。
「なに。俺にマスター殺しの業を背負えってか」
「俺も、人殺しの業、背負ってるから、お似合いだろうよ。一発で頼むわ。引きずり出してくれ。苦しいのは、性に合わねぇ」
「勝手なマスターだ。……まぁ、次まで俺は、ウルボーグ連れてどっかで待っててやるよ。…………お休み、マスター」
「おう。お前も、元気でな」
 そしてその後、自分が白に溶けていくのを感じて。



 その時は信じてた。次に逢う時も、きっとこの雪の中で、あの色彩に見せられて、当たり前のように恋なんて呼ぶのかどうかもわからない感情を抱いて。
 きっとその時もまた自分に迷って、戸惑って、だけど、今回ほど永いこと迷ったりしないで、少しはまともに生きられるだろうとか。
 モノクロの中で、やっぱりお前だけに、色を求めるんだろう、とか。


 それを。


「それをまたお前が!!てめぇが邪魔したんだ!!昇ってみりゃあユーリは引き寄せられるように消えててよ!!慌てて追ってみりゃあこのザマだ!!それを、冗談じゃねぇ。冗談じゃねぇぞヴォルコフ!!勝手に引き寄せて、それも、前の方がずっとずっと、ずっとマシだったほど本当に機械人形にしちまいやがって!!その上『失敗作』だ!?ふざけんなぁあああ!!」
 追い駆けて、探して、探して、探して。ようやく見つけたあの色は。
 全ての表情を、亡くしていて。
「何時までユーリを束縛すりゃ気が済む!!何処までユーリの鎖は続くんだ、ヴォルコフ!!何かしたわけでもねぇ、ただアンタの眼に留まった、それだけのことだろう!!なんでそれがこんな業になるんだ!!なんで、こんなにユーリが苦しまなきゃいけねぇんだ!!何時だって、何時だって、何時だって!!ユーリは自分を見つけたいだけなんだ!!それを掴めそうだったんだ!!今度こそ掴めるはずだったんだ!!それをなんでてめぇが奪う権利がある!!なんでそれを邪魔する権利がある!!剥奪する権利がある!!俺達を人形扱いするのもいい加減にやがれぇ!!」
「ボリス」
「なんでだ、なぁ、火渡、なんでだ、なんでだ!!あんまりだ。これじゃああんまりだろう!!なんで、いつも、ユーリばっかり……!!」
「ボリス」
 コンクリート片が砕けて出来た砂は嫌に白くて。
 放射能で色を変えられた空は、まるで雪雲のように見える。
 モノクロの中で、やっぱりどうしたって、あの色は目を惹いて。惹かれずにはいられなくて。
 なのにきっと、あの色はまだ取り戻せない。
「貴様の気持ちが分かるとは言わん。しかし、奴を憎む気持ちが貴様一人の持ち物であるなどとは思うな。引き裂きたい思いも、それを実行できんもどかしさも、同質ではないが俺とて持っている。だからこそ、今は退くしかなかろう。……どんなに、奴が憎くても、今出来るわけが無いことは貴様も充分理解できるはずだ。取り戻さねばならん。あの時救えなかった『木ノ宮』も、ユーリも。そのためには、今は全力で奴の範疇から逃れるしかない。……貴様なら理解できるはずだ、ボリス」
「………………あぁ、解ってるさ」
 するべきことは、この人数の中誰一人残すことなく、ここから全力で逃げること。
「しっかし、難しいぜ?火渡」
「ふん。マシンガンを持たせた貴様を後衛に立たせれば、造作もない」
「冗談。……でもま、楽しそうかも……なぁ!!」
 今は逃げて。だけど取り戻して。
 それでまた、違う出会い方をするんだろう。きっと記憶はあるけれど、それでもやっぱり違う出会い方には違いないから。
 それで、また違う風に好きになる。変わってしまっても変わらないお前に、変わらない、変わらないはずの俺がまた。




 モノクロの中の、ただ一色の色に憧れながら。